2007年7月アーカイブ

エピソード75

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 どんな世界にもルール(規則)が存在します。
自然界では「食物連鎖?」、スポーツでは「規則」、日本国では「憲法」、そして会社では「社内規則」「就業規則」など・・・。食物連鎖はルールというよりも、自然の摂理としてしごく当然の解釈だと思いますが。

 今の世の中、多くの規則を無視して何食わぬ顔をして生活している人がいるため、おかしくなっていると考えます。上記の例で守られなければ、必ず何らかの制裁(ペナルティ)が待ってるはずです。

 個人的な意見ですけど、ISO(国際規格)等は別として、ルールの多過ぎる国・団体・会社・組織等のレベルって高いんでしょうかね?無論、そこで働かせてもらってる従業員の人間レベルもですけど・・・。「気付く」人間がいれば、ルールなんて必要ないでしょう?

 久しぶりに毒付いた文章ですけど、必死に汗水流して仕事してるのに・・・と感じてしまう時があるので、あえて載せました。ストレス溜まってるのかもしれません。

 ・・・ストレス発散がこのブログになってるのも切ないですね。

あー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

バレーボールをやりに行こう・・・

息子と釣りに行きたいな・・・


自民大敗は想定の範囲内だと思いますけど・・・
経緯がね・・・
十村篤志

3.これからの経営と雇用

○知識社会の到来によって、雇用の長期化は重要度を増しつつある。長期雇用が前提のコア社員を中心とした情報の共有や新たな価値の創造が期待できるからである。コア社員の周縁に成功報酬型の専門知識を持った社員や、さらにその外辺にパートタイマーを配慮することによって、より高度な知の創造が可能になるだろう。コスト面で見ても、コア社員を少数精鋭化する一方で、周縁社員や外辺社員を厚くしておけば人件費の変動費につながる。

○知の創造のためには、多様な社員がますます重要になる。これからは採用の仕方、雇用形態などを社員の多様化に合せて調整いていく必要が出てくる。しかし、そのような社員が少数派であるうちは本当の実力は発揮しにくいものである。職場で珍しくない存在になって初めて、個々の人材多様化政策の真価を問うことができる。

○きちんとした人事評価とそれに見合う報酬を出さないと、優秀な人材は社外に流出してしまう時代になりつつある。年功序列・終身雇用のもとでは、定年までの長期間での過不足を調整することができた。これからは人材の流動化が進むために、そのようなやり方は通用しなくなっていく。アメリカ企業の人事評価や報酬制度を研究して採り入れることも必要。

○企業会計と同様、人事評価でも真実に肉薄することがもっとも重要である。真実に肉薄するためには十分なデータを備えることが基本である。社員一人一人の多角的な評価システムや記録の整備において、日本の企業社会は新しいシステム作りが求められている。

○企業会計に例えれば、日本企業の年功序列賃金は逓増する減価償却費のようなものである。このような減価償却の考えを一律に適用すれば、人材を引止めることができない。コア社員の処遇も実績を加味した変動償却方式に変えていく必要がある。これからの経営では、多様な人材をうまく活用するために日本企業のB/S方式とアメリカ企業のP/L方式をうまく併用していく必要ある。

○日本企業が持つ「暗黙知」を共有化するのに土壌は貴重である。そうした土壌の上で、チームプレーの質をより高めていくことができれば、日本企業が総合力での強みを発揮できるはずである。チームプレーの質を高めるには、人事評価面で能力主義を導入し、個々人の「知」の量を増やす必要がある。

○報酬制度以前の問題として、企業の持つ社会的な意義や役割、そこで働くことの充実感や達成感が求められる。同時に「社員に対してどれだけ刺激的な仕事を与え続けているか」「社員はどれだけ期待に応えているか」というほどよい緊張関係の持続が大切になる。全く緊張感がなくとも、過度に緊張感を与えすぎても、社員は辞めていく。これからの人事担当者の仕事は、社内での人材分布を経営者にきちんと示すことである。

○企業経営者は経済効率の達成という目的に向けて、その構成員に企業像や理念を示すことが求められる。企業活動に参画する社員に高い社会性を求めるとともに、それに加わることにより大きな意義が与えられる。企業活動の目標達成のプロセスに高い社会性を求めることで、さらに効率向上が期待できる。

○組織はあくまでも便宜上のものにすぎない。組織を作ることは、ヨコの情報流通が悪くなるなどセクショナリズムの弊害ももたらす。軍隊ならば別であるが、企業の成果は組織図では作り出せない。こうしたことを言い続け、組織の弊害を絶えず壊していくのが、経営者の重要な役割である。

○経営トップの役割は日々の仕事をこなすことではなく、3年以上先のことを考えることだと思う。例外は会社が危機に瀬したときである。「会社はつぶれるものだ」ということを常日頃から意識していないと、本当の危機を招く。グローバルな市場経済の時代で、経営トップに課せらているものは「パラダイムを新たに」ということ。

○IT革命やグローバルな市場経済化が進む一方、経営手法が標準化されてきた。これからは経営者の先見性がますます重要になる。この先見性を身につけるためには、判断に必要な情報を集めることが肝心。失敗だと判断したらすぐやめることも大事である。「仕事はゲーム感覚で」というつもりになれば、物事の本質が見えてくるのではないだろうか。「本質を見極めること」が先見性を身につける上で一番重要である。

○これからの経営者には、最新の経営技術を積極的に採り入れる勉強家である一方、多様な人材を上手に活用する合理的なオルガナイザーであることが求められる。しかし、エモーショナルな日本人を合理性だけで動かすことは難しい面がある。一方でエモーショナルな社員は、やる気を出すと、論理的な社員よりも大きな成果を上げることがある。本気で「泣きながら合理性の方に振る」ことができる経営者こそが、これから求められる経営者像であろう。

2.これからの経営

○これからの経営者は「どんな株主を重視するか」を明確にする必要がある。一口に株主重視といっても、株主にはいろいろなタイプの株主がいるからである。そして日本企業の多くは、短期的な株主の期待に応えるのは困難な一方、中長期的な株主を重視する経営に長けているはずである。

○市場経済では、ライバル企業というのは想定しにくいものである。顧客ニーズの変化に対応できる体制を絶えず再構築していくことが、これからの経営の大きなテーマである。統制経済では、ライバル企業を見ていたが、これからは顧客のほうを向いて経営しなければならない。

○リストラクチャリングは経営者にとって不断の作業である。しかし突然リストラクチャリングに着手するのはあまりいいことではない。リストラクチャリングを不断に行っていれば、不測の事態を避けて、かつ新規事業に進出するなどの機動性が出てくる。

○経験と知識の集積されているコアビジネスこそ収益の源となる。それ以外はあくまでもコアビジネスがおろそかにならない範囲でのことである。コア以外にも先行投資として常に手を打っておくべきであるが、コアとその周縁ビジネス、さらにその外辺のビジネスといったように事業を明確に位置付けて、力の入れ方を変えていく必要がある。こうしたことは、市場経済ではコアビジネスが将来においても収益の源になる保証がないため、経営判断として重要になっていく。

○世の中の変化がますます早くなってきているため、これからはアライアンスが求められていく。自社にないものを補完し合うアライアンスは、事前主義よりも機動性があり、新しい価値を生出しやすい手法だといえる。合弁会社を設立するか、それとも業務提携の形を取るかは個々の事業内容によって使分けるべきである。

○財務の真実に肉薄することが「企業会計」の土台である。自社の状況を計数で厳密に把握できていなければ、正常な経営判断を下すのは困難であり、日本の会計制度はこの意味では脆弱で、多くの課題を残している。

○欠陥を持っていた会計制度は、結果として「含み経営」を許していた。含み経営は、有担保融資や法人制度と無縁ではなかった。日本の会計制度は国際基準に収斂されつつあり、企業会計を可能な限り実態に近づけようとしている。含み経営の時代は去り、新しい会計を見据えた新たな経営が求められている。

○日本企業の多くは単独主義の経営をしてきた。問題を抱えている子会社でもそれがなかなか表面にでなかった。しかし、子会社に隠していた問題は、いずれ本体の財務に悪い影響を与える。株主重視の視点から見たら、グループ経営の結果を示してもらえなければなんの意味もない。連結会計の導入はあくまでもスタートで、グループ経営の意味や経営体制を整える必要がある。一方で、連結納税制度の導入など残された課題もあり、日本企業は制度的なハンデを負いながら欧米企業と競わなくてはいけない状況にある。

○株式の公開とは、本質的に他人に会社を売却することである。子会社の株式を保有し続けるべきか手放すべきかは、上場することによる経営上の利害をグループ全体でよく吟味することが必要である。特に優良子会社の株式を上場させることは、グループ経営の視点から見ても慎重にすべきである。

○コーポレート・ガバナンスで重要な第一歩は社外取締役である。次に執行役員制度の導入で監督と執行を分離する。実際に業務を執行する者と、株主のためになっているかどうかを採点する者が同じでは適切な経営判断はできないからである。経営の監督と執行の分離は、経営の意思決定の迅速化にもつながる。

○執行役員制度を導入したら、次に社外取締役を招聘し監督体制を整える。内部出身の取締役だけでは株主のための監視をするには不十分だからである。社外取締役は、実際の業務に詳しい必要はないが、「ベスト・インタレスト・オブ・オール・シェアホルダーズ」という見解が求められる。

○社長が自分の後継者を選ぶ権限を握ると交代のタイミングや後継者の適性を見誤る危険性がある。それにもまして、後継者の適性を見誤ったとき、今度はその後継者を誰も辞めさせられなくなる。指名委員会はそのような弊害を緩和する機能を果たす。経営者の報酬についても報酬委員会で客観性を高めている。

○企業の監査システムを株主の視点から司る制度として、アメリカでは取締役会の中に監査委員会がある。社外取締役で構成されている監査委員会は、会計事務所や社内組織と連携しながら機能している。日本における監査役は事後的な計数監査にとどまっている。監査役を強化しようという動きがあるが、違法性を監査するだけの監査役の強化はコーポレート・ガバナンスの強化につながらない。監査役という制度自体を取締役と一本化するなどの新しい制度作りが求められている。

○アメリカの経営者は取締役会に対する説明責任が課せられている。これが、形骸化した株主総会を補完する役割を果たしている。説明を厳しく求める株主の増加は、企業にとって幸せなことである。経営者はそれとともに重要事項をできるだけ早く、かつ広くディスクローズすることが求められる。それらによって株主や潜在株主との信頼関係が築かれる。

続く

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三沢さん45歳、田上さん46歳。合計で91歳のGHCヘビー級選手権。

私も三沢さんの一つしたの学年なので、がんばらないとね。

「ぶっちゃけ、キツイから」

1.日本の経済体制と企業経営

○日本は、官営経済、統制経済、市場経済の三つの経済体制が混合した経済社会である。市場経済に特化したアメリカ経済が効率性を高めて90年代に復活したのとは対照的に、効率の悪い官営経済や統制経済が依然として大きな力を占めている日本経済は、90年代以降、停滞を続けている。

○官営経済は国が運営する経済体制である。その本質は社会主義経済と変りはない。社会主義経済は効率の悪いことが歴史的に証明されているにもかかわらず、大きな経済システムとして、日本には今もなお強固に存在し、民間企業を圧迫している。

○市場経済は買い手が主導権を握っている経済体制である。買い手に喜ばれる商品やサービスを生出し続けなければならないため、売り手にはとっても厳しい体制といえる。また、買い手の立場のときに市場原理を発揮しておかないと、その後の厳しい競争に打ち勝つことはできない。

○市場経済には失業者という社会的弱者を生む弊害がある。しかし一国経済の中では市場原理によって大きくなったパイを削って弱者救済に回すことで、こうした弊害を和らげて、よりよい社会を作ることができる。どんな社会を作るかは、経済のパイが大きくなればなるほど、その選択の幅が広がる。

○国境を越えた市場経済の弊害については、それを解決する仕組みを持っていないのが現在の世界である。これは21世紀の最大の課題といえる。日本もそうした大問題に取組むべきであるが、その前に日本自体がグローバル化の負け組みになることを回避しなければならない。

○統制経済は「産業を保護することが社会に役立つ」との考えから成り立っている。しかしその弊害は「企業をつぶせない」ことである。企業をつぶすと、需給調整や産業保護をしてきた監督庁が論理矛盾を起こすからである。それでも最近はつぶさざるを得ない状況が増えてきた。

○統制経済がコスト高なのは、最も船足の遅い企業に合せてきたからである。このため、最も船足の遅い企業にとって統制経済は容易に利益が上がる経済体制であった。一方で、護送船団方式によるノロノロ運転で、経済全体の効率は悪化してきた。このコストを払ってきたのがユーザーである。

○統制経済では、企業の存続が保証されていたようなものであったため、イノベーションが起こらなかった。イノベーションが起こらないために、統制色の強い業種ほど衰退の道を歩んでいる。統制業種に慣れ親しんできた国民も少しずつそのゆがみに気がつき始めている。

○市場経済化していくうえで、規制をどのように改革するかという問題がしばしば議論される。公共性などさまざまな理由のもとに、特に金融や医療などの分野では規制改革は緩やかなものとなっている。しかし、社会的要請で経済活動を制限せねばならない規制の範囲はもっと狭め、市場経済のプラス面を採り入れることができるはずである。その方が経済全体にとってはプラスである。

○資本金は高いリスクをとる資金であり、株主は有限責任である。それなのに日本では個人保証や有担保主義により、経営に失敗すれば個人ではとても払いきれない多額の借金を負う無限責任へと転化する。しかし、アメリカの企業経営者は違う。アメリカ社会には、資本主義や株主会社の基本に忠実であるため、もっと気軽に起業したり、廃業して再びチャレンジできる土壌がある。

○企業のオーバー・プレゼンスは、世界でもあまり例を見ないステーク・ホルダー資本主義を生出した。利害関係者のすべてに善かれとするステーク・ホルダー資本主義は、アメリカの株主資本主義に比べて効率がよいとは言えない。これからの日本企業は、「効率よく富を創造して社会に提供する」という株式会社本来の守備範囲に戻るべきである。

○系列取引では、企業のあり方がさらに複雑になっている。経済合理性やイノベーションよりも系列内部の安定性が求められた。その温床となっていたのは統制経済である。経営者は、高い専門能力よりも調整能力に優れた人物を善しとするようになっていった。結果として、経営効率を上げる成果が期待しにくくなっていった。しかし、これからの経営者は、高い専門能力が問われるようになり、経営者本来の役目を十分に果たすことが社会的な責任となる。

○IT革命とグローバル化によって、市場経済を生き抜く時代に入った。これからの経営のあり方を自らの頭で考えて日本独自の経営を構築するという大きな課題が、現在の経営者の前に横たわっている。

続く

『会計で会社を強くする』(坂本孝司著)を読んでの感想 - 阿部華人

 会計は何のために行うのか著者が巻頭で結論を二つ述べています。「会計は倒産を防止し逞しく勝ち残るためにある。」「記帳は自社を守るための証拠作りである。」その意味がこの本を読んで理解できました。会計は何のために行うのか?少し考えてみましたが、「利害関係者に対して財政状態と経営成績を明らかにすること」のような教科書的なことしか思い浮かびませんでした。実際のところ上場している大会社であれば会社四季報などに決算報告が掲載されていますが、過去より私のお客様で決算報告を行ったというお話をうかがった企業さんは記憶にありません。
 
 会計とは何なのか?歴史から会計の重要性を知ることができました。フランスでは死刑を担保に記帳と決算書の作成を義務付けたということです。やりすぎだと思いますが、経営者自らに現在の財政状態と経営成績を報告することが不況を克服すると考えたのでしょう。

 興味深く感じたのは、アメリカにおける金融機関の会計事務所の信頼が非常に強いということです。記述してあるとおり、何十年も前から会計事務所と金融機関の協力関係を構築してきたことにより、権威のある会計事務所のサインはその関与先企業の税務申告書や決算書を信頼して審査融資してくれるようです。権威のある会計事務所というのは、うそ偽りのない会計監査と決算書を作成し続けてきたことが大前提で、金融機関との良好な関係を構築し続けてきたからだと感じます。なぜ所長が金融機関との良好な関係の構築を重要視するのかこの場面からも理解することができました。

 「お客様が簿記会計を自ら実践できるように、経営者自らが会計を理解することができるように、徹底して支援申し上げること」に会計事務所の本来的な使命があると著者は述べていますが、同感しました。結局のところ、私がいくら一生懸命に記帳代行をして関与先企業さんの状態がわかったとして、いくら心配したとしても、関与先企業が会計の重要性を理解しないかぎり平行線状態を維持しているだけだと感じました。関与先が会計帳簿を自ら作成することによりリアルタイムで会計情報を引出し、自ら経営判断を下せるように少しでも支援すること、あるいはお客様に対して教育という言葉が適切かわかりませんが、会計の重要性を日々の監査の中で教育し続けることが重要かもしれないと感じました。

 ともあれ当面はお客様よりたくさんのことを教わることになりますが、現場が楽しみです。

 読むのに1時間半かかりました。

エピソード74

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 いっこうに夏らしくなりませんね。
 ボクシングで内藤選手がチャンピオンになりました。
 私と年齢が近く、妻がパートで家計を支えていた等の苦労話に共感し
 私も勇気を貰いました。
 努力は必ず報われる!!
 関連してオススメサイトです。

 http://promotion.yahoo.co.jp/charger/200601/contents02/theme02.php

 オーストラリアに勝ってくれー!!
 十村篤志

5.起業家精神のマネジメント

○未来を築くために、まず初めになすべきことは、明日をつくるために今日何をなすべきかを決めることである。そのためには、第一に、既に起こった未来を予期することと、第二に、ビジョンを実現することである。

○既に起こった未来は体系的に見つけることができる。
第一に調べるべき領域は、人口構造である。第二の領域は、地域の領域である。第三の領域は、他の産業、他の国、他の市場である。第四の領域は、産業構造である。

○未来において何かを起すということは、新しい事業をつくりだすことである。すなわち、新しい経済、技術、社会についてのビジョンを事業として実現するということである。

○起業家マネジメントを行うために、してはならないことは、
①既存の事業部門と起業家的な部門を一緒にすること。
②既に大企業の多くが起業家たちと合弁事業を組んでいるが、成功した例はあまりない。
③いかなる企業であろうと、得意な分野以外でイノベーションを行おうとしても成功することはめったにない。
④買収、すなわちベンチャービジネスを取得することによって、起業家的になろうとしてはいけない。

○既存の組織にとって、起業家精神の障害となるものは既存の事業の存在だが、ベンチャーにとって、起業家精神の障害となるものは既存の事業の欠落である。

○ベンチャーが成功するには、①市場に焦点を合せる、②財務上の見通し、特にキャッシュフローと資金について計画を持つ、③トップマネジメントのチームを前から用意しておく、④創業者たる起業家自身が、自らの役割、責任、位置付けについて決断することである。


追記:上記達成のためには、「会計情報は経営意思決定のためにある」と言うことを念頭におきながら、経営をおこなっていただくことが必要と思っております。

甲賀 伸彦

4.マネジメントの基礎知識

○今後、人のマネジメントにおいては、知識労働者の生産性が中心的な問題となる。これは人と仕事についての前提を大幅に変えなければならないことを意味する。行うべきことは、人をマネジメントすることではなく、リードすることである。その目的は、一人ひとりの人間の強みと知識を活かし、生産的なものにすることである。

○今後のマネジメントは、技術とその用途を基盤とすることができない。それらは制約条件にすぎない。マネジメントが基盤とすべきは、顧客にとっての価値である。

○今日必要とされているものは、マネジメントの範囲の見直しである。理論と実務の双方において今後前提とすべきものは、マネジメントの範囲は法的にではなく実体的に規定されるということである。

○かつて多国籍企業にとって、経済の現実と政治の現実は一致していた。しかし、マネジメントの対象と国境は一致しなくなった。マネジメントの対象を政治的に規定することはできない。国境は制約条件にすぎず、現実のマネジメントは政治ではなく、経済の実態が規定する。

○理論および実務としてのマネジメントが基盤とすべき前提は、マネジメントとは組織の外部において成果をあげるためのものであり、まずそれらの成果を明らかにし、次にそれを実現するための組織でなければならない。

○企業は、「富を創出」するためにマネジメントしている。ここにおいて事業上の意思決定のための四種類の情報、すなわち基礎情報、生産性情報、卓越性情報、資金情報と人材情報が必要となる。

○事業の失敗を招くに至る致命的な誤りは、税制、社会規制、市場選好、知的財産権などの企業環境が、自分たちの考えるようなものであるに違いないと安易に決め込んでしまうことにある。そのため、そのようなことに常に疑問を投げかけてくれる情報を得るシステムが必要である。

○自己管理によるマネジメントを実現するには、自らの仕事振りとその成果を、目標に照らして評価測定することが必要である。したがって、明確な共通の強化基準を与えることが必要である。

○自己管理によるマネジメントを実現するには、報告、手続き、書式を根本的に見直すことが必要である。 報告と手続きの誤った使い方は三つある。①手続きを規範と見なす。②手続きを判断の代わりにする。③報告と手続きを上からの管理の道具として使う。

○人事には共通する四つの原則がある。
①ある仕事に就けたものが成果をあげられなければ、人事を行った自分の間違いである。
②少なくとも責任感のある者が成果をあげられるようにすることは、マネジメントの責任である。
③人事は組織そのもの能力を左右する。したがって、正しく行われなければならない。
④外部からスカウトしてきた者に、初めから大きな仕事を与えてはならない。

○同族企業はマネジメントにおいて次の原則が必要である。
①一族外の者と比べて、同等の能力を持ち、少なくとも同等以上に働く者でない限り、同族企業で働かせてはならない。
②一族の者が何人いようと、また彼らがいかに有能であろうとも、トップマネジメントのポストの一つに、必ず一族に属さない者をあてなければならない。
③同族企業といえども、専門的な地位には一族以外の者を必要とする。
④一族の人間が後継者について考えを持つようになる前に、適切な仲裁人を外部に見つけなければならない。

続く

「祭」

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おっ、お久しぶりですぅ~(誰だっけ?)

高橋@甲賀事務所です。

4月22日以来のブログです。

明日から3連休ですね。
ちなみに、今日から釧路は、厳島神社のお祭だそうで・・・
外勤していると、浴衣を着た女性が見受けられます。
子供の頃、神社祭で神輿を担ぎ、お菓子と小遣いを貰った経験があります。
嬉しかったことを、今でも鮮明に覚えています。

「祭好き」の高橋でした。
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3.マネジメントの責任

○マネジメントの仕事と成果の概念は、「富の創出能力」を最大限にすることであり、何ものも「バランス」させることではない。この概念の明確な定義に向けての第一歩が企業活動にとって鍵となる八つの目標である。

○八つの目標に対し、マネジメントの仕事振りを評価する第三者による事業監査の義務化を必要とする。

○社会的影響に対する責任は、マネジメントの責任である。ただし、それは社会に対する責任ではなく、自らの組織に対する責任である。そのような影響は、事業上の機会にすることこそ理想である。それが不可能なときは、最適なトレードオフをもたらす規制案をつくり、公共の場における討議を促進し、最善の規制を実現するよう働きかけることがマネジメントの責任である。

○社会の問題は社会の機能不全から起こるが、この社会問題は特に企業のマネジメントにとって一つの大きな挑戦である。それは社会の問題の解決を事業上の機会に転換することによって、社会の要請に応え、同時に自らの利益とすることこそ、企業の機能である。

○社会的責任に関してもっとも重要な限界は、権限の限界である。企業が責任を要求された場合、必ずそれについて「権限をもっているか、もつべきか」を自問しなければならない。もし権限をもたず、またもつべきでないならば、責任を負うことの是非に疑いをもたねばならないし、企業はそのような権限をもつべきではない。

○それぞれの分野で具体的な成果をあげることを目的とする社会の機関、組織が果たすべき最大の社会的責任とはそれぞれの機能を遂行することである。最大の社会的無責任とは、能力以上の課題に取組み、あるいは社会的責任の名のもとに他から権限を奪うことによって、自らの機能を遂行する能力を損なうことである。

○プロは自律した存在であり、政治やイデオロギーの支配に従わないという意味において、私的である。しかし、その言動が依頼人の利害によって制限されているという意味において、公的である。プロの倫理の基本、すなわち公的責任の倫理の基本が「知りながら害をなすな」である。

続く・・・

エピソード73

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 こんにちは。
 よく、金融機関から資金を借りるだけ借りといて、「貸す方・貸した方が悪い」と言う人がいますが、私から言わせると「そうなる以前の問題」と解釈せざるを得ません。
 自分で暴飲暴食をして、病気になり「食べさせた・飲ませた方が悪い」ってならないと思います。物を食べたり、お金を借りたりする環境はみんな同じです。
 環境が同じで自分だけ悪いと感じるのであれば、自分自身に問題があるのではないでしょうか?
残念な事は、意外に自分の会社の財務状況に気付けていない経営者さんが多いのと、気付かせてあげる税理士さん(所員含む)が少ないということです。
 考え方にもよりますが、少なくとも世の経営者さんたちは税金の計算しかしない税理士さんを必要とはしていないと感じます。
 「天は二物を・・・」じゃないですけど、バランスのとれた税理士さんは私の人生の中では(知らないだけかもしれませんが)、いまだ2人しか出会っておりません・・・。
 私もそうなりたいものです。


税理士試験勉強で詰まった時は、「ジス・イズ」で決まり!
ジャズを聴きながらのコーヒーは最高ですね
小林さん頑張れ!
十村篤志

1.マネジメントとは何か
○マネジメントとは、一般教養である。教育者が、教育ある者が、教育ある者としての役割を果たすには、マネジメントを理解し実践しなければならない。それは、明日の社会は知識社会であり、したがって、異なる知識を持つ者が組織との関わりのもとに、共通の使命を持って働く組織社会だからである。

2.マネジメントの課題
○マネジメントには、自らの組織が社会に貢献する上で果たすべき役割が三つある。第一は、目的を果たすことである。第二は、組織に関わりのある人たちが生産的な仕事を通じて生き生きと働けるようにすることである。第三は、自らの組織が社会に及ぼす影響を処理するとともに、社会の問題に貢献することである。

○「われわれの事業は何か」を問うことこそ、トップマネジメントの第一責任であるが、その問いは、企業の外部、すなわち顧客と市場の視点から見て初めて答えることができる。また、マネジメントたるものは、「われわれの事業は何か」を問うとき、「われわれの事業は何になるか。事業の目的や性格に影響を与える恐れのある環境の変化は認められるか」「それらの予測を、われわれの定義すなわち事業の目的、戦略、仕事にいかに組込むか」を問わなければならない。

○事業の定義があって初めて、企業は目標を設定し、戦略を開発し、資源を集中し、活動を行うことができる。事業の定義があって、初めて業績をあげるべくマネジメントできるようになる。
 ここで言う目標は、マーケティングの目標、イノベーションの目標、人的資源の目標、資金の目標、物的資源の目標、生産性の目標、社会的責任の目標、必要条件としての利益の目標である。(八つの目標)

○事業の定義は三つの要素からなる。第一は、組織をとりまく環境、第二は、組織の使命、第三は、使命を達成するために必要な強みの前提である。第一の環境についての前提は、組織が何によって対価を得るかを明らかにする。第二の使命についての前提は、組織が何を意義ある成果とするかを明らかにする。経済や社会に対し、いかに貢献するつもりかを明らかにする。第三の自らの強みの前提は、リーダーシップを維持していくためには、いかなる分野で抜きん出なければならないか明らかにする。

○事業の定義が有効であるための四つの条件は、
①環境、使命、強みについての前提が、それぞれ現実に合致しなければならない。
②環境、使命、強みについての前提は、それぞれがたがいに合致していなければならない。
③事業の定義は、組織全体に周知徹底しなければならない。
④事業の定義は、たえず検証していかねばならない。

○事業の定義は、組織が目標を達成したときに陳腐化する。目標が達成されるときは、定義を考え直すときである。そして、事業の定義見直しに必要なのは、天才ではなく、勤勉さであり、賢さではなく、問題意識である。そもそもCEOとはそういう存在である。

○企業がNPOから学ぶべき第一は使命を持つことである。使命を持つことにより、はじめて行動に焦点を合わせることができる。また、目標の達成に必要な戦略も明らかにすることができ、規律をもたらすことができる。

○企業がNPOから学ぶべき第二は取締役会の在り方である。マネジメントの能力を回復するには、取締役会を活性化する必要があり、その責任はCEOにある。そのための措置として、多くの企業で監査委員会が体裁でない本当の責任を負うようになっている。また、幾つかの企業で取締役会がCEOの後継や経営陣の選任に関して小委員会を設け、定期的に経営幹部と面接し、仕事振りなどについて話しを聞いている。しかし、取締役会自身とその仕事振りを評価している企業はまだ1社もない。また、NPOでは日常的になっている理事の訓練に相当するもの、取締役の訓練を行っている企業も知らない。

その2へ続く

一般的に、「給与」とは、企業が従業員に対して毎月支払うものをいいます。また、夏・冬、あるいは期末時に企業が支払うものを「賞与」といいます。これらを合わせて「給料」と呼びます。この場合、「給与」は、狭義の「給与」ということになります。

給料=給与(狭義)+賞与 

「給与」の後に「計算」がつく場合は、「給与」を広義でとらえ、「給料」と同じ意味で使っています。同様に、「給与」単独でも、「給料」と同じ意味で使用することもあります。

給与(広義)計算=給料計算
           あるいは、給与(広義)=給料

また、「給与計算」では、社会保険、労働保険、税金などの法律・手続きに関係するため、それぞれの規定によっても、用語が変わります。社会保険では「標準報酬」、労働保険では「賃金」、税金では「給料」、あるいは「給与」といった用語を用います。

お名前は?

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この子のお名前がわからなくて、3年ほど苦しんでいます。

どなたか教えてください。

バンギャ

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SNS(ソーシャルネットワークサービス)に入っていると、共通の趣味などを持った人たちと交流できる。そう、仲間が広がり、そこで話がつながる訳です。私の場合、プロレス関係、それもノア系の方々と交流を持っています。

そこの書込みで「バンギャ」と言う言葉が出てきました。ん?わかんない。早速、検索エンジンのグーグルにタイプすると、なるほどこういう意味だったのね!

そこで、「日本語俗語辞典」なるものを発見!いわゆるスラング辞典ですね。
http://zokugo-dict.com/
これは便利です。

エピソード72

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 ちょっと、マニアに思われるかもしれないですが、私は「髪の短い女性」に
魅力を感じます。なぜか?
 思い起こせば中学の頃、当時バレー部だった私が体育館で隣のコートをおもむろに覗くと練習をしている女子バレー部の髪型がショートだったのです。
 「何だ!あの髪型は!?」
女性の髪形は長いものだと勝手に植えつけていた私の固定概念をものの見事に壊してくれました。初めて見た時はカルチャーショックを受けたはずです。
 「でも、よーく見るとなかなかいーなー」
中学から始まり、映画「ゴースト」でのデミ・ムーア、故ダイアナ妃と私の心の中で自信が確信に変わった瞬間でした。
 実際に髪の短い女性に話を聞いても、「面倒くさいから」「シャンプー楽だし」などという意見が多いのですが、固定概念を見事に壊したその勇気を称し、私がもし首相なら国民栄誉賞もんですよ。
 ちなみにベリーショートだと私的には、引いてしまいます・・・。

香里奈がショートでも似合うと思うんですけどねー
もし、ショートにしたら手紙を出すかもしれません。「ありがとう」と・・・

過去にローカルの女子アナに手紙を出した経験のある十村篤志より

お客様を訪問していると、よく経営者の方から「利益がこんなにでているのに、なぜキャッシュがないのだろう?」といったご質問を受けます。(ここでのキャッシュとは現金+当座・普通)

私も、この職業に就き始めたときによく疑問に思ったものです。

それでは、どうしてこの疑問が出てきたのでしょうか?
簡単な例を考えて見ましょう。

例)
①売上1000円
②仕入500円
③売掛金500円
④買掛金200円

利益は・・・ 
売上-仕入=1000円-500円=利益500円

一方、キャッシュは・・・
(売上-売掛金)-(仕入-買掛金)=(1000円-500円)-(500円-200円)=キャッシュ200円

という訳で、利益とキャッシュはずれます。
さらに、借入金の返済や設備投資なんかを行うと利益は出ているのに、キャッシュは無いといった事態が起こります。

『黒字倒産』といった事態を回避するためにも、常にこうした差を意識するということが重要ではないでしょうか。

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2014年5月

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